会津戊辰戦争(参-壱)〈越後に於ける会津藩の動向〉 新潟港は旧幕府領で新潟奉行所が置かれていたが、大政奉還後は徳川領地となったが、幕府が崩壊し、その運営は不安定な情況であったため、諸藩が力を合わせて運営する必要から会津藩の提案で実現した「酒屋会議」であった。 2022.01.16 2022.02.05会津戊辰戦争(参-壱)
会津戊辰戦争(参-壱)信州鎮撫隊会津へ、衝鋒隊と改称し越後へ出立 仙台藩士・玉虫十左衛門、米沢藩士千坂太郎左衛門に面談し奥羽諸藩の会津救解の動きを聞き、微妙な立場にある会津藩を思い、三月二十六日(4月18日)日新館を出立し坂下宿へ向かい、片門から船で阿賀川を下り、会津藩領の水原陣屋に宿陣、その後、越後へ進む 2022.01.04 2022.12.22会津戊辰戦争(参-壱)