2022-02

会津戊辰戦争(参-壱)

会津藩の越後方面での布陣と偽名西郷蔵之進の借用金事件

会津若松城では会津救解のための奥羽諸藩連盟「嘆願書」が西軍総督府参謀世良修蔵に却下され、再び会津追討の命令に諸藩は逆にそのために出陣した藩の出兵の解除を求め、列藩同盟成立へ向けて大きく進み始めた事を受け、西軍との一戦に決し、藩境防備陣の出陣を決定していくのである
2023.01.07
会津戊辰戦争(参-壱)

飯山藩の裏切り、衝鋒隊敗北、酒屋陣屋まで撤退

まさか飯山藩と戦っていると考えもつかなかった事が眼前に展開されているに驚くが、合流して落城させようと戦いに加わった。教導役として同行していた飯山藩兵は事の意外なるさを知り驚き、隊を乱して遁走した。
2022.02.28
会津戊辰戦争(参-壱)

新潟治安維持にむけ越後同盟成立す

四月四日(4月26日)長岡藩河井継之助は村上、新発田、黒川、三根山、村松の諸藩の重臣を集結し、新潟港を含む新潟の治安等々に協議し、その結果を持って衝鋒隊総督古屋に面談し、越後六藩同盟を伝え、新潟の治安を維持することになった。
2022.12.25
会津戊辰戦争(参-壱)

会津藩藩境防備体制強化、越後方面への出陣

三月十五日新発田藩前藩主溝口直溥が帰国のため会津若松城下へ止宿していた。その宿へ家老西郷頼母が訪ね、(1)新発田藩の京都出兵(2)藩内の薩摩・長州人の潜伏などを責め、激論となった。その結果、西郷頼母は新発田藩の真意に疑念を持ち関門の警備を伝えたのである。
2022.05.02
会津戊辰戦争(参-壱)

〈越後に於ける会津藩の動向②〉

酒屋陣屋の代官井深宅右衛門は茂原半兵衛、丹羽右近を連れて村松藩を訪ね、坪井静作と面談している。刻々と変わる越後を取りまく情況を勅書の到達なども含め、語り合わされている。特に村松藩とは親密さも加わり面談の回数も増えている。
2022.02.20
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