会津戊辰戦争(弐-二)

江戸の動静、勝海舟と西郷隆盛会談・史跡

会津戊辰戦争(弐-二)

江戸城無血開城、大久保利通都内史跡巡り

三月十四日(4月6日)の再会見で江戸総攻撃は中止と決まったが、徳川慶喜の処分は、大総督府参謀西郷でも一存では決められない。朝廷の三職会議(総裁・議定・参与)を開き、慶喜の処分の評議を行い、慶喜の水戸隠退を認める事に決した。
2022.05.01
会津戊辰戦争(弐-二)

山岡鉄舟と西郷隆盛会見、徳川慶喜謹慎の地宝台寺

山岡鉄舟は二月下旬、慶喜に拝謁し、大総督府西郷隆盛との直接の面談を依頼され、元薩摩藩士益満休之助を道案内として同行させ単身、駿河まで進軍していた。大総督府は東海道鎮撫総督府へ出立した。
2022.08.18
会津戊辰戦争(弐-二)

勝海舟

勝はさらに万が一の事も考え、イギリスに戦争回避の仲介、また江戸市中の市民救出のため、近海河川のあらゆる船を房総沿岸に新門辰五郎に依頼して待機させ、幕軍が敗れた場合は、江戸市中に放火し、進軍を阻止する作戦であったという。勿論、陸軍・海軍の総出陣態勢を整えていたのである。
2022.08.18
会津戊辰戦争(弐-二)

幕末の江戸情勢

ペリーの来航は、それまで潜在していた内政・外交の弱点が露呈し、現状のままでは太刀打ちできないものをはっきりと認識されだしたのである。一方、欧米列強国も自国だけでは経済の発展にかげりを感じ、ロシア以外の未開発国のアジア進出をめざしていたのである。
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