旧幕陸軍歩兵隊の江戸脱走と古屋佐久左衛門らによるその鎮撫

忍藩に歩兵隊を預ける会津戊辰戦争(参-壱)

桑名藩藩主松平定敬・海老名郡司・請西藩主林忠崇動向

旧幕陸軍歩兵隊の江戸脱走と

古屋佐久左衛門らによるその鎮撫

 

〈衝鋒隊、誕生のいきさつ〉

この隊の出自は旧幕府歩兵隊の江戸脱出組とその後、信州鎮撫を命じられた歩兵隊第六連隊が合流し御家人の養子の古屋佐久左衛門が統率し下野・日光と西軍と戦い、三月二十二日(4月14日)古屋は会津若松に至り、松平容保・喜徳に拝謁し、遅れて若松に入った同志が(二十五日=4月17日)やはり松平に拝謁し、会津藩校日新館に宿陣し、その時隊号を「衝鋒隊」と命名した。

古屋佐久左衛門は天保四年(1833年)に筑後の御原(現福岡・小郡市)の庄屋・高松辰之助の次男として生まれた。(三つ下の弟は、後に高松凌雲と名のり、医者として共に函館戦争で再会する)古屋は医者を目指して嘉永四年(1851年)出奔し、大阪で漢方医・春日寛平の下で学ぶが、医師に適さない自分を知り、江戸に出た。安政六年(1859年)四月二十八日、浅草元鳥越甚内橋の古屋久佐衛門(御家人)の養子となり、佐久左衛門と改名。武士となった古屋は文武に励み、剣も上達、更にオランダ語、ロシア語、英語までマスターした。

文久三年(1863年)世情、開国、浪人の多量発生など騒々の時、神奈川奉行所定役となり、運上役(税関)と昇進し、元治元年(1864年)英学所教授方助手、慶応二年(1866年)歩兵指図役としてその地位と実力を不動のものにする。更に後に会津へ脱け出した沼間新次郎と共に日本初の洋式兵書を翻訳し、歩兵隊の洋式操錬を指導した。また後に衝鋒隊副隊長となる坂本暗殺で名をはした今井信郎とは神奈川奉行所(元治元年時)で知り合い、親交を深めたという。

衝鋒隊

〈旧幕兵、江戸を脱走〉

慶応四年(1868年)一月の鳥羽・伏見の戦いには古屋は参戦しておらず神奈川奉行所に勤めていた。その戦いに敗れ、江戸に戻った陸軍歩兵隊第十一、第十二連隊を中心とした五百余名が、二月五日(2月27日)三番町の兵舎より脱走する。この二隊は大阪付近で急きょ募集した火消し、やくざ、農民を中心とした隊であった。指揮官を失った隊士は狭い兵舎に押し込められ、食事も給金も満足に支給されなかったことが原因とされるが、北関東方面に他の兵士らと脱走した。この事件を旧旗本の松濤(まつなみ)権之丞から聞いた古屋は共に時局を談じていた今井、内田庄司、永井蠖伸斎(かくしんさい)らとこの強盗集団と化した脱走兵の収拾を松濤を通して、幕臣・勝海舟にその許可を得て脱走兵を追った。二月十五日、十六日頃(3月8.9日)下野・佐久山で鍋掛塾で追いついた。古屋らは数日間、説得し真岡の代官・山内源四郎を説いて一千両を借用しこれを脱走兵に分け、更に永井の出身藩忍藩に三百七十名を預け、天野新太郎と楠山兼三郎を取締りとして残し、二月二十四日(3月17日)江戸に戻り、旧幕府陸軍に報告した。それを知った勝海舟は、少しでも過激な士を江戸から放す事と古屋に信州鎮撫を命じ、歩兵隊第六連隊、六百余名、大砲三門を与え、古屋に歩兵頭に任命した。三月二日(3月25日)板橋宿を先発隊が出陣した。

旧幕兵江戸を脱走

〈衝鋒隊誕生のいきさつ〉〈旧幕・歩兵隊江戸を脱走〉

「会津戊辰戦争」もさりながら、「越後戊辰戦争」に於いて会津藩、長岡藩らと共に「列藩同盟軍」の一員としてその名を馳せた「衝鋒隊」について記して置く。

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「衝鋒隊」と名称したのは三月二十五日(4月17日)会津若松に入り松平容保に拝謁した時、命名したという。江戸を出立した時は「信州・中野陣屋」へ赴き鎮撫の目的であったのである。「信州鎮撫隊」としての出陣であった。

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今後の事ゆえ、便宜上「衝鋒隊」と呼称して追っていくことにする。

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当時幕府は旗本だけでは心もとなく、勘定奉行小栗上野介の建言により「西洋式(フランス)」軍隊の編成となり、市民から徴募した歩兵隊を設立、「長州征討」「鳥羽・伏見の戦い」等に勇敢に戦い、幕府の「陸軍」となったのである。しかし、本来無頼漢の幕臣成り立てである。粗暴であったという。

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「鳥羽・伏見の戦い」後、江戸に戻ったこれら歩兵隊は戦いの恩賞もなく食事、給金も満足する支給でなかった日々に不満がうっ積していた。二月に入ると徳川慶喜の「謹慎・恭順」の動きが耳に入り、ついに江戸脱走となっていった。特に歩兵隊第十一、第十二連隊は、大阪付近で徴募した火消し、博徒、ならず者、農民らが中心の隊であったという。

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右記載の資料では二月七日(2月29日)の夜とあるが、二月五日の夜との説もある。歩兵隊の小頭藤吉は江戸市民で火消しの頭領で隊士の中でもその勢力が強く「指図役」「改役」と昇進し「梶原雄之助」と名を改めていたが、大阪人の「河原精之進」「加藤惣兵衛」らと隊士を煽動し、江戸三番町の兵舎の当直の士官数名を銃殺し兵器(銃など)を掠め第十一、第十二連隊の隊士を率いて江戸を脱走した。

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その目的は一応「庄内藩」に投じ、徳川幕府の再興を計る事にあったというが、その北上の路々、略奪、強姦、横暴がひどかったという。

「衝鋒隊」

〈脱走兵を追う〉

江戸三番町の兵舎を脱走した約一千~二千人の旧幕歩兵隊は江戸下谷広小路三枚橋(現上野公園下)に勢揃いし、千住関門へ向かった。関門を守る幕臣板倉内膳正殿が厳重な警戒態勢をとっていたが、話し合いが不発となると歩兵隊は銃砲を撃ちながら強行突破し、奥州街道を北上し強奪、狼藉等々を重ねながら「羽生陣屋」に着陣、この頃になると途中で多数の兵士が離脱し、分散し約四百名くらいに減っていたという。

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「歩兵隊」は「日光例幣使街道」沿いに北上、鹿沼宿で「日光奉行所役人」に説得され徳次郎宿を経て佐久山へ向かった。

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一方、旧幕歩兵連隊の指図役であった幕臣「古屋佐久左衛門」は、脱走した歩兵隊の乱暴狼藉の報を幾度なく耳にすると強盗集団と化した歩兵隊を収拾しようと考え、旗本松濤権之丞を訪れ旧幕府の一切を取りしきっている勝海舟への面談を斡旋、共に勝海舟を訪れ許可を得、親友の「今井信郎」(遊撃隊・京都見廻組の頭取を務めた)「内田庄司」「永井蠖伸斎」「天野新太郎」らと共に歩兵隊の後を追った。

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途中離脱した隊士も多かったというが、一千~二千人の約三分の二隊士らは、その動向を記す資料がない。後日、会津若松城下で衝鋒隊に合流する歩兵第十六連隊二個中隊は共に脱走はしなかったのだろうか。この頃会津藩は「武備恭順」で微妙な立場に立っており、諸藩。旧幕兵の入領は受け入れる態勢(情況)ではなかったと思うのだが・・・。

江戸脱走兵

〈脱走兵を鎮撫する〉

古屋佐久左衛門らは、二月十五、六日頃(3月8.9日)下野・佐久山で歩兵隊に追いついた。古屋らは必死の説得に当たったが歩兵隊は北上する。(一説には鍋掛宿で追い着いたともある)

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二月十六日(3月9日)古屋・歩兵隊は鍋川宿に入った。ここに会津藩家老西郷頼母が江戸をめざして止宿していた。

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歩兵隊の江戸脱走を聞いた西郷頼母はその宿を訪ね、古屋佐久左衛門と面談、歩兵隊の北進の理非曲道を諭したという。この時西郷は会津入りを考えたのだろうか、後に衝鋒隊に合流する歩兵第十六連隊は「一ツ橋家播州の兵」であったとの説もあるが、徳川慶喜は一ツ橋家出身である。この時、西郷は江戸行きを一旦取り止め、会津若松へ引き返している。いずれ脱走兵の会津入りを認める事を悟って、帰国に向かったのかも知れない。古屋佐久左衛門らは面談後歩兵隊を率い、また佐久山へ戻っている。歩兵隊の梶原雄之助らも説得に応じ、天野新太郎らが率いて出立した。この鍋掛宿には二十日まで滞留している。西郷も二十日に会津へ向かった。

脱走兵を鎮撫

数日に及ぶ西郷、古屋らの説得に応じた歩兵隊は、天野新太郎らに率いられ佐久山宿へ引き返した。一説には佐久山で幹部三人の処罰をしたという。梶原・河原・加藤の三人であったと思われる。約四百名近いといわれた残留した歩兵隊を江戸へ連行するには大変な事である。そのための見せしめもあったと思われる幹部三名の処刑であったのであろう。さらに脱走の理由が「鳥羽・伏見の戦い」等々の御賞がなかった事に起因しているため、古屋佐久左衛門は所用で出張してきていた真岡陣屋(代官所)の山内源七郎を説いて一千両を借用し、それを歩兵隊士に分け与えた。

脱走兵を鎮撫

〈忍城切り抜き〉

忍嬢

忍城

武蔵国 忍藩

〈忍藩に歩兵隊を預ける〉

古屋らは二月二十日(3月13日)佐久山宿を出立し、宇都宮、羽生などに宿をとりながら二十五日(3月18日)「忍城下」に入った。

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「忍藩」は永井蠖伸斎の出身藩であった。そこで古屋らは協議し忍藩と接渉し約三百七十余名を「預かり」として忍藩に頼み、天野新太郎、楠山兼三郎を取締として残し、古屋、今井らは江戸をめざした。

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この頃、忍藩は西軍に恭順かいわゆる佐幕派か、まだ藩論が定まっていなかったという。

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忍藩に歩兵隊を預けた古屋佐久左衛門は、隊士らの身はまかせてくれと安堵させ、江戸へ出立、二月二十四日(3月17日)江戸に入ると、旧幕陸軍局に顛末を報告した。勝海舟は徳川慶喜が上野寛永寺に謹慎生活に入っている折、抗戦的な歩兵隊が江戸に戻る事を案じ、古屋らに「信州鎮撫」を命じ「歩兵隊第六連隊(約六百名)」と大砲三門を与えた。古屋らは「徳川再興」を考えていたと思われ、勝海舟の命に応じ歩兵頭に就任し、さらに諸藩に一千二百枚の檄文を回した。

2006年4月4日撮影

忍藩に歩兵隊を預ける

信州鎮撫隊、江戸-桶川宿-忍藩-羽生宿を経て梁田へ

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