〈守護職屋敷建つ〉〈屋敷門〉

孝明天皇天皇形見分け京都守護職時代

新撰組誕生 八・一八の政変 禁門の政変

〈京都守護職屋敷建つ〉

 

「姉小路」事件、八・一八の政変と続く中、容保は再三禁裏に兵の常駐を提案するも三条実美らの反対に実現できなかったが、八・一八以後ようやくその提言が取り入られ「お花畑=凝華洞」に兵営が建てられ御所の西側には広大な「守護職屋敷」が建てられた。

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一方、薩摩藩も禁裏の出入りが許され、近衛邸と今出川通りを隔てた薩摩藩邸の兵舎をを拡張した。

守護職屋敷

京都守護職屋敷址

〈守護職屋敷跡〉

守護職屋敷の建立の詳細な資料を未だ分からないが、あくまで政務の中心は(実務)黒谷光明寺であったと考えられる。一方、一千人に及ぶ藩兵がすべて黒谷金戒光明寺に常駐していたわけではない。公用人は市中に住んでいた。守護職屋敷ができてからは、警備等々も含め、この守護職屋敷に常駐する藩兵もいたことだろう。御所に近く、また「二条城」にもそれ程離れてはいない。

〈池田屋騒動〉〈明保野事件〉

守護職屋敷跡

孝明天皇形見分御品

孝明天皇天皇形見分け

容保自筆の添え書き

容保自筆の添え書き

京都守護職

京都守護職

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