〈朝廷に於いて「会議」〉

大政奉還と王政復古会津戊辰戦争(壱-三)

〈混迷の幕末〉

〈朝廷に於いて「会議」〉

徳川慶喜十五代将軍は、江戸城の幕閣の改革も進めた。「小栗上野介」「勝海舟」らを登用し幕府の軍事改革(軍制)を進め、軍艦の購入、海軍を当時随一のものに仕立て、陸軍も(二万数千人といわれる)フランスからの最新式の銃砲を購入し、弾薬の製造も学び着々と新たな改革を推めていた。

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慶応三年(1867年)五月二十三日「御所・虎の間」に於いて会議を開き

(1)兵庫港開港問題

(2)長州藩処分問題

に結論を下した。二日間にわたる大会議に参加したのは山階宮、中川宮、摂政二条斉敬、近衛、鷹司、九条、正親三条らの十一公卿、幕府側は将軍慶喜、所司代松平定敬(桑名藩主=容保の弟)老中松平春嶽、板倉勝静、稲葉正邦、松平容保代理(病のため家老が出席)

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(1)は諸外国にすでに約束していたが、正式に許可

(2)寛大な処分

となった。

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京都ホテルの一室から「二条城」を望む。

徳川慶喜

「親藩会議」

「東大門」の裏面

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六月十七日「二条城」で「親藩会議」を開く。先の御所・虎の間で行われた「会議」の報告であった。幕府若年寄格となっていた新選組局長近藤勇も出席していた。席上、御所に発砲した長州は「朝敵」であり、さらに「征長」を行ったのは何のためか、と詰め寄ったというが結局「先の会議」の結論となったという。

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一方、薩摩・長州藩は慶応三年正月に「十五歳」の「睦仁親王」が跋扈され「天皇」となった。まだ幼少であった。しかし、薩長は討幕派の暗躍が激しくなる朝廷内に於いて「岩倉具視」を復権させ、天皇の外祖中山忠能を抱き込み、秘かに十月十四日「討幕の密勅」を作り、慶喜、容保、定敬らの討伐を命じている。十五歳の天皇にこのような判断が下せるわけがない。あきらかに「偽勅」であろう。

親藩会議

土佐藩の「建白書」

「いつ」「どのように」「どのような時期」に政権を返上したら「徳川幕府」にとってよいか考えていた徳川慶喜は、土佐藩の「建白書」は渡りに船であったようだ。父は徳川斉昭(幕府御三家)、母は有栖宮織仁の娘・吉子、常に天皇の血筋と徳川の血筋の最高と思っていた慶喜は、政権返上は自分しかいないと思っていたという。

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慶応三年十月十一日、洛中に滞住する諸藩に対し、幕府は「大目付戸川伊豆守」で二条城への招集状を出した。しかし、参集したのは五十人程であったという。

徳川慶喜

「遠侍の間」

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幕府大目付戸川伊豆守の「招集状」には「国家之大事見込み、御尋ねの議あり、十三日四ツ時(午前0時)に登城せよ」とあった。

大目付戸川伊豆守

「いよいよ朝権一途に出でず、綱紀立ち難く、従来の旧知を改め政権を朝廷に帰し広く天下の公儀を尽くしー」

京洛に於ける政情を知りながらも不安もあったろうし、複雑な面もちで参集した諸藩の重臣の前に幕閣・老中板倉勝静は「書面の通りである」書面には「いよいよ朝権一途に出でず、綱紀立ち難く、従来の旧知を改め政権を朝廷に帰し広く天下の公儀を尽くしー」とあった。

大目付が筆と紙を持って回ったが、署名したのは薩摩・土佐・安芸・宇和島の重臣であったという。

大政奉還へ

「大政奉還」

幕府は慶応三年十月十四日、朝廷に「大政奉還」の上奏をし「勅許」された。一方、「討幕」の密勅を得ていた薩摩藩は「大義名分」が失われてしまった。しかし、岩倉具視と図り、長州藩と共に討幕の画策を練り上げようとしていた。

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十月二十四日、徳川慶喜は「征夷大将軍」の辞表を提出するが、朝廷は保留する。「大政奉還」を受諾したものの、朝廷は全国三百諸藩の統率、運営をどうすすめるか、手も足も出せない実態であった。薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通、長州藩の桂小五郎、岩倉具視公卿らは再び政事の舞台に徳川慶喜、会津藩松平容保、桑名藩松平定敬らを登場させてはならないと、あくまで徳川幕府を討幕する事であった。

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一方、朝廷もどうすべきか定まらず政情は混沌としていた。薩摩藩は「大政奉還」のために「土佐藩と同盟」を結んでいたが、「公武合体」路線をとる土佐藩は征夷大将軍の辞退考えていなかったため、薩摩藩は盟約を破棄し、芸州(広島)藩を説得し「武力」を背景に朝廷を押さえ込まんと藩の出兵を開始、京洛に出陣させた。

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そんな状況の中「坂本龍馬」が十一月十五日(12月10日)暗殺された。京洛に藩兵が集結すると、西郷隆盛らは「王政復古」を画策し出した。

(1)将軍職を廃止、幕府の組織、守護職、所司代の廃止、さらに徳川幕府の

(2)領地返還

(3)会津・桑名藩を京都から追放

等々を知った土佐藩後藤象二郎は老中松平春嶽に注進、松平は二条城に登城し、慶喜に報告した。慶喜は顔色一つ変えず淡と受流し、会津・桑名藩にはひと言も告げなかった。

〈王政復古の大号令〉

王政復古へ

〈二条城二の丸庭園〉〈所司代鐘〉

二条城

大政奉還と王政復古

大政奉還と王政復古

大政奉還と王政復古

大政奉還と王政復古

大政奉還と王政復古

大政奉還の書「写し」あった

大政奉還の書

 

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